| 「奥の院」物語 その24 | |
| 眞念菴 | |
| 日本第一霊場(土佐清水市下加江市野瀬) | |
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| 第37番札所岩本寺から、国内では最後の清流として最近ブームになっている四万十川河口の中村市を経て、足摺岬の先端にある第38番札所金剛福寺までちょうど100`ある。その途中にある伊豆田峠は、遍路道の難所の一つだった。眞念庵はこの峠の旧道を降りる途中の集落「市野瀬」にある。弘法大師が地蔵菩薩を安置された場所と言い伝えられ、今は無住で荒れている。納経帳の印に「日本第一霊場」の文字があり、わざわざこの印をもらい訪れるお遍路さんも多い。 ここに庵を設けたのは、四国遍路のガイドブックとしては最も古い「四国遍道指南」の著者の眞念で、お遍路さんたちの難渋をを救おうと「善根宿」として建てられた、という。しかし、足摺まではまだ40`近くもある。そこで、ここまで来て引き返すお遍路も多く、眞念庵に伝わる納経の印字には「土佐幡多足摺打戻」の文字が見える。 ここで、眞念なる人物にすこし触れておこう。眞念は大坂西浜町寺島に住む修行者で、どうも高野聖だったらしく、その生涯のほとんどを、山野での修行に費やしている。 「四国遍路道指南」は今日の札所1番から順を追って、寺の建つ位置、環境、本堂の向き、所在、本尊などを簡単に記したあと、次の札所への道順を示しており、1687年に大坂北久太郎町本屋平兵衛が出版して、四国遍路の大衆化に尽くした。また、遍路道の200カ所に道標を建立した業績も大きい。 同書のあと1689年に高野山の高僧、宝光院の雲石堂寂本が名著「四国遍礼霊場記」を世に出すが、四国を訪れたことのない寂本がこれを完成出来たのは、眞念の資料提供があったからだった。「奥の院まいり」を書き上げるに際して、川東さんはその構成を善通寺第55法主、蓮生善隆氏に相談したところ、「眞念さんは四国遍路の基礎を築いた人物」として、紙面をさくように勧められた。 「眞念法師は弘法大師に帰依し、四国八十八カ所の霊場を巡ること20余度、四国遍路道指南、四国遍礼功徳記の著者であり」「現在の四国遍道の基礎をつくり、四国八十八箇所の案内記の普及者であり、四国遍路の父と仰がれています」。納経は近くの山本ストアーで。(「 」内の文と地図、納経は「奥の院まいり」より。写真は川東さん提供) |
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