中国はいま
洛陽・白馬寺
1999.12.27
| 河南省の省都、洛陽で汽車を降りた。 洛陽駅前には、長距離の二階バスがずらりと停まっている。 ここが交通の要衝であることは、すぐ分かる。 車のナンバー・プレートを見ると、「豫」の文字で始まっている。 伝説上では中国での最初の王朝、夏の禹王は天下を八つ分け、この地を「豫州」とし名付けた。 「豫州」、いまの河南省は、黄土の大平原で、東西の黄河が流れている。 古代中国の歴史は、この地を中心に動き、黄河を治める者が天下を治めた。 実在する王朝としては中国最古の「殷」、その都の跡「殷虚」は洛陽の東、わずか120kmで見つかっている。 「殷」の後の「周」も一時期、都を洛陽に置いた。 時代は下る。 中国に仏教が入り、初めて洛陽に寺院が建てられた。 それが白馬寺だ。洛陽の東12kmにある。 MONG@ |
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露天商がひしめく白馬寺の正門前。同寺の縁起によると、後漢の明帝は夢のお告げを受け、西方の聖人の教えを受けるため、使者を送り出した。その後、使者に伴われてインドから摂摩騰、竺法蘭という高僧が白馬に経典と仏画を乗せて洛陽に入り、朝廷に迎えられた。朝廷は彼らのため寺院を建てて住まわせたのがAD68年、のちに白馬寺と言われるようになった。 |
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付きまとう売り子を振りきって正門をくぐると、閑静な境内が広がる。ガイド・ブックによると、門を入ると左右にインドからの高僧の墓が残っているそうだが、見そこなった。 |
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「清涼台」は一段と高い基壇の上に築かれ、煉瓦塀囲まれた建物で、木立もあっていかにも涼しそう。 |
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「清涼台」の中のこの建物で、二人のインド僧はせっせと仏典の漢訳をしたという。何度も兵火にあっており、唐代には則天武后によって大改修された。しかしまた焼かれ、いまの寺院は明清代に改修されたものだそうだ。 |
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二人は翻訳に疲れると、こんな阿舎で息抜きをいたのだろうか? |
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洛陽駅前の長距離バス・ターミナル。左の一台は西の山岳部を抜けて260kmにある西安、さらに奥の延安に行く。洛陽と西安の間の山間部には、「箱根の山は天下の険」の歌に出てくる有名な「函谷関」がある。右の一台は東に1500km離れた山東省・煙台港に行く。時速平均50kmとして、休みなしで走っても、ざっと30時間はかかる計算だ。 |
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洛陽市内の交差点。車のナンバー・プレートは「豫」で始まる。西安と並ぶ歴史の古都、隋の煬帝はここに都を置いた。唐代には西安がどちらかというと政治の中心だったのに対して、洛陽は経済的に栄えた。則天武后はここがお気に入りで、都を西安かから移している。黄土に覆われて埃っぽいが、地元のガイドは「埃っぽいのが洛陽人の誇り、埃のないところに行くと、体調まで狂う」と、笑っていた。 |