足摺紀行

(4) 柳の葉よりも小さな町


2000.1.19

四万十川の河口に開けた中村の朝は靄が深い。
この川を中心に、北からは後川、西からは中筋川が流れ込んで、川面にたつ靄が、早朝の街をすっぽり包んでしまう。
応仁の乱を避けて京から応仁2年(1468)、中村に入った前関白一条教房が京に模して開いた街は、四万十川、別名「渡川」と後川に挟まれた小さな中州で栄えた。
京のように、碁盤の目に整備されていたらしいが、度重なる洪水と南海地震などの災害で面影はほとんどない。
お隣の大方町下田ノ口出身の私小説作家上林暁(1902〜1980)は、この街について昭和27年に小品を残している。
ふるさとを遠くにした東京の病床で、ラジオを聴いた。東北地方の川沿いの町が「柳の葉よりも小さな町」と紹介されていた。
中学生時代を過した中村を思い出した。
そうだ中村の町も、渡川と後川に挟まれてとても小さかった。
友人のこと、洪水のこと、町の暮らし・・・・・・・・
上林にとって、この小品の題名は「柳の葉より小さな町」以外には思い着かなかった。  MONG@


朝靄にかすむ中村の市街地。高知県南西部、幡多地方の中心都市は人口3万5千人。国、県、企業の出先やビジネス・ホテルが以外に集中していて、為松公園から見下ろす市街地に”小京都”の風情を探すのには努力がいる。
四万十川の河口近くには川魚漁で生計を立てる人が多い。これも自然が豊かな証拠で、「柴漬け漁」「ガラ曳き漁」「石ぐろ漁」と言った原始的な漁法が今も残っているのが面白い。
今シーズンは暖かい日が続き、河口の風物詩、アオノリの天日干しは12月28日になってやっと始まった。ドライブ・インなどに並べられるアオノリの佃煮などの原料はここで取れる。
四万十川にかかる旧国道56号の「赤鉄橋」。昭和40年代、この橋一本に頼っていた時代、この地で過ごした人たちにはとても懐かしい。台風で川が増水すると、必ずこの橋がTVで写し出される。左の白いホテルの見える小山が、城跡のある為松公園。正面の遠い山並みを、ここでは「東山連山」と呼ぶ。
四万十川(左)と中筋川(右)の合流点。中央の中州でアオノリ干しが見られる。左端の山並みの切れた辺りが、四万十川の河口。
後川の河川敷。左の小山は為松公園。河原の右が安並。
四万十川、中筋川の合流点からちょっと東に進むと、「大文字の送り火」の小山が見えてくる。これも、京を偲んで一条公が始めた、と言われる。
足摺への難所、中村、土佐清水両市境にある伊豆田峠に向かう途中で、神奈川からの会社員夫婦に出会った。12月27日に室戸に近い甲浦港に上陸、足摺岬で初日の出を見て、九州に渡るそうだ。伊豆田峠にも2代目のトンネルが出来て楽になったが、自転車では体力が要る。
足摺半島の手前に広がる「大岐の浜」は、知る人ぞ知るサーファーの集結地。潮の巻きだし現象があって、浪も高く、それだけ人気が高い。泳いでいると、いつの間にか沖に流されるため、市は「遊泳禁止地区」にしているが、あまりにも海岸が綺麗で、夏には2万人も訪れるため、市はアドバイザーを雇って指導している。この海岸を通り過ぎると、足摺はもうすぐだ。