清流伝説
−四万十川で出会った人たち−
(1) 下田港・中島丈博の原風景
2000.3.3
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「『元禄繚乱』(NHK)のシナリオを書いた中島丈博さんですか?タケヒロさんでしょう、知ってます。
少年時代?ええ、良く知っています。
タケヒロさんは、文章がとても上手だったそうです。下田中学のころは学級新聞の編集長をしたりしていた、と聞いています。
私より年上でした。確か昭和10年生まれじゃなかったでしょうか。
彼は母の教え子なんです。国語を教えていました。
母は89歳になるんですが、タケヒロさんは去年夏にも、帰省のおり、見舞いに来て下さいました。
彼が中村高校に進学したとき、母も同校に転勤になっています。
文芸部のような活動をしていたのでしょう。ウチにもよく来ていました。
高校を出ると、確か地元の幡多信用金庫に就職、3年くらいいました。その後、上京して橋本忍の門下生になっています。
下田が舞台になった映画『祭りの準備』(1975年制作)ですか?
故郷が舞台ですから、それに自伝的な作品でしょう?地元は大騒ぎです。
ご本人が『下田にいい思い出がない』と言ってたってですか?
まあ、今様に言えば、イジメって言うような事でしょう。
お父さんは、日本画家です。京都で大家について修行するのですが、その先生が早く亡くなるんですね。
戦争も激しくなってきて、一家で故郷の下田に”疎開”して来るんです。
こんな田舎ですから、お父さんにそう仕事があったとは思われません。
ずっと後になって、野市(高知市に隣接)に移られて、県下では指導的な作家になられますが。とても、物静かな方で、土佐の東山魁夷と言った感じの人でした。
ここは、港町と言うか漁師町というか、元気なガキ大将ばかりです。
一方、タケヒロさんは、都会育ちの上、姉、妹にはさまれた一人息子でしょう。
想像して下さい。
あの映画でも描かれてますが、お母さんは、息子には手堅い仕事をさせたかったようです。
お母さんは陽気な方で、下田で保育園の保母をしておられました。
ご主人が日本画家で、苦労されたのでしょうか。
勿論シナリオ作家めざしての上京には、お母さんは大反対でした。
お父さんは、何も言われなかったそうです。
上京する前なんか、よくウチに来ては、母に相談していました。
結局、母がタケヒロさんと一緒に、お母さんを説得したのではないんでしょうか?
今では、脚本家として、映画監督として、大変な売れっ子ですが、母の前では、いつまでも先生と教え子と言った様子なんです。
ご両親も亡くなっておられます。
母が懐かしいんじゃないんですか?」(中村市鍋島、横山宏美さんの話)。MONG@
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四万十川河口は川幅が2km近くあるが、左岸側から大きな砂嘴がのびていて、土佐湾からのうねりを止めている。下田港は、この砂嘴の内側の付け根にあり、波穏やかだ。応仁の乱(1467〜」1477)を避けて中村の地に京風の町を開いた一条家は、遣明船を下田に入れて対中国貿易の中継基地にしただけでなく、唐船の建造なども盛んに行ったらしい。その後、下田は鉄道が昭和38年、土佐佐賀まで来るまで、幡多地方随一の港町として栄える。
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中島丈博がシナリオを書いた映画「祭りの準備」(黒木和雄監督)は、そんな下田に暮らす信用金庫勤務、シナリオ作家志望の青年が主人公。遊び人の父、犯罪に走る友人らとの人間関係に悩みながら、幼なじみとの恋にも失敗、恥多き青春を精算しようと、母までも裏切って上京する。日本の青春映画のベスト10に入る傑作で、旧港の岸壁わきに残るこの廃屋は、映画で氷水屋の場面に使われ、撮影当時植えられたケヤキがこんなに成長していた。 |
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河口の堤防では、年末年始のこの時期、イワシかボラしか釣れないが、釣り客は多い。映画では、父を遊び人として描いた中島丈博。彼をを知る人は「上京に反対する母の説得に苦労していた」と言う。しかし、父親との関係を語る友人には出会えなかった。日本画家の父は、芸術を志すわが子の心情が手に取るように見えていたのかも知れない。堤防の上では、親子が仲良く釣りを楽しんでいた。 |
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大きな丸石がごろごろ転がって歩きにくい長い砂嘴を横切って、河口に向かう釣り客。
中島丈博の父、中島敬朝(1898〜1983)は、京都市立絵画専門学校(京都芸大)に学び、近藤浩一路らに師事、帝国美術展に出品するなど京都で活動する。戦争がひどくなってから出身地の下田に戻ったが、戦後は健康をそこねるなどして、中央画壇への復帰を断念している。中村市では遺作展が開かれ、最近、記念館を作る話も出ているそうだ。
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久しぶりに訪れた下田港では、l500トン級の貨物船が2,3隻碇を降ろしていた。昭和40年代初頭までは、関西向けの木材、木炭の積み出しなどでまだまだ賑わっていたが、今は釣り船ばかりだ。映画「祭りの準備」では、都会で修行してきた下田の仕立屋で、主人公が背広をつくるシーンがあって象徴的だ。 |
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中島丈博が監督を務めた映画「郷愁」(昭和63年制作)も下田を描いており、この旧家の前では、消防団員が放水、雨のシーンを撮影した。地元の人はその様子を昨日の事のように憶えていた。
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かつてこの辺りには、回船問屋、珊瑚採集の網元、旅館、料亭などが軒を連ねたが、今ではそんな豪邸は数少はくなった。映画「祭りの準備」の最後のシーンは、主人公が逃亡中の友人に見送られて窪川の駅から汽車に乗る所で終わるが、窪川どまりだったそのころまでは、下田にも中村市長を当選さすだけの”民力”があった。 |
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河口の自然は、あの頃とちっとも変わらない。川漁に生きる人たちは、早朝から舟を出す。
さあ、これから、長さ196kmに及ぶ四万十川を遡上しながら、河畔で出会った人たちを紹介して行こう。
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