麺通団のうどラヂテキスト版 編集 田尾 和俊

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団長:今回は、讃岐うどんの歴史における「はなまる」の功績を語った回です。

ごん:『うどラヂ』もたまには真面目な回があるというところを見せておかないとね(笑)。

団長:先に基礎情報だけ簡単にまとめておきますと、「はなまる」は2000年に1店舗目の木太店がオープンしました。店を出したのは高松の「エイジェンス」というアパレル関係の会社の若き社長で、そこから1年余りのうちに県内にパタパタと5店ぐらいオープンして、その勢いで2002年から、東京の渋谷を皮切りに全国展開を始めました。

ごん:渋谷のオープンは「讃岐うどんが全国展開を始めた」って、全国ネットですごい話題になりました。

団長:ちなみに、「エイジェンス」は2001年に同じく高松でリサイクルブックストアを展開していた「フォー・ユー」と提携して、セルフうどんチェーンの全国展開を目的とした「株式会社はなまる」を設立しましたが、両社の若き社長同士の提携のきっかけを作ったのが、何を隠そう「麺通団」の知将A藤です。

ごん:そんなことがあったんですか!

団長:A藤は「フォー・ユー」の社長とお友達で、本人がそう言いよった(笑)。ほんでその後、いろいろビジネス上の紆余曲折があって「はなまる」は「吉野家ホールディングス」が経営母体になって今日に至るわけですが、そのあたりの基礎知識を踏まえて、放送回を再現しましょう。

はなまるの功績

団長:さっき収録が始まる前にK米君と「讃岐うどん界における『はなまる』の功績」について雑談してたら、K米君がえらい食いついてきて、「本編でやりましょう」って。

ごん:「はなまる」の功績の話は団長、以前から2つ挙げてましたよね。

団長:はい。まず1つ目は、それまで讃岐うどん界の難攻不落のターゲットだった「若い女性」が気軽に1人で入れるようなスタイルのうどん店を切り開いて行ったという、パイオニア的な功績。

ごん:それは間違いなくありました。

団長:みんな忘れとるかもしれんけど、ブーム以前の1990年代中盤頃までの讃岐うどんって、若者にとっては「オヤジの食い物でダサイ」というイメージが根強くあったんよ。

ごん:ありました。

団長:特に女性の間ではそういうイメージが強くて、例えばOLなんかでも「昼食でうどん屋に入っているのを見られるのが恥ずかしい」という文化だった。中でもセルフの店は「サラリーマンの昼飯仕様」の色合いが強かったから、女性客は何か入りづらい雰囲気があったんや。

H谷:特に1人では入りづらかったみたいですね。

ごん:確かにそういう店にOL客は少ないというか、ほとんど見なかったような気がします。

団長:とにかくそういう風潮だったから、僕らがやってた若者向けのタウン情報誌は「うどん特集」とかやったら間違いなく部数が減ると思いよったんや。表紙にドーンとうどんの写真を載せたりしたら、若者の読者が「おしゃれじゃない!」って絶対に引くって(笑)。あの頃、うちの5年先輩のライバル誌の『ナイスタウン』の編集長に聞いたら、「うちもうどん特集はやったことがない」って言いよったから間違いない。

ごん:今じゃ考えられないような状況ですね。

団長:とにかく「讃岐うどん巡りブーム」以前の「讃岐うどん」は、感覚的には“男社会の年配向けコンテンツ”だったんよね。それが90年代後半からブームが来て、県外からの若い客が製麺所型とか一般店の人気店にたくさん行くようになったけど、県内の若い女性客の多くはまだ「うどん屋に1人で平気で入れる」という状況にはなってなかった。それがブームの定着とともにだんだん解消されていったんやけど、その原動力の一つとして「はなまる」の若者テイストのコンビニみたいな店舗展開があったと思うわけよ。

ごん:女性客開拓のきっかけというか、取っかかりとして、「はなまる」の存在は欠かせないものがありましたね。

団長:続いて2つ目の功績は、うどん店ビジネスに「工場生産型セルフ店の全国チェーン展開」というビジネスモデルを切り開いたこと。

ごん:はいはい。

団長:それまで香川のうどん店は、県内で何店舗か展開しているチェーン店や県外に1店舗ずつ支店を出したりするところはいくつかあったけど、全国に一気に多店舗展開するところはなかった。それを、大きなリスクをとってやった、新しいビジネスモデルを開拓したという偉大な功績。ほぼ同時期にJR四国がJR東日本と提携して東京の山手線の駅構内で「めりけんや」を何店か始めたけど、ロードサイドのフランチャイズ全国展開というビジネスモデルは「はなまる」がパイオニアや。

ごん:「はなまる」の成功を見て、ああいうのがどんどん増えましたからね。

団長:改めて思うけど、地域おこしとか新規事業が成功する秘訣として、「若者、よそ者、バカ者」とかよう言うやんか。

ごん:二流のコンサルなんかがよく言いますね(笑)。

団長:「はなまる」の出現と成功なんか、まさにそれちゃうか? 若いビジネスマンで、異業種からの参入で、バカ者かどうかは知らんけど(笑)。

ごん:いい意味で“バカ者”的な発想があったとも言えます。

団長:けど、こういうのが出てきて成功したら、必ず批判的な言動をする旧勢力が出てくるんよな。「はなまる」が香川で店舗展開し始めた時も、当初は既存の業界とかうどん店なんかが「はなまる」に対してちょっと批判的な態度だったんよ。「伝統ある讃岐うどん界に“よそ者”が入ってきてワヤし始めた」とか「あんなのは本物の讃岐うどんでない」とか言うて。

ごん:うまくいかなかったら何も言われんのにね。

団長:我々だって、麺通団が怪しい製麺所型うどん店の探訪レジャーを始めてブームが起こったら、いろんなところで旧勢力の方々から批判されてきたからな。「あいつらは讃岐うどんの文化を壊した」とか言うて。それなら自分たちも出てきた時に、それまでの文化を壊したんじゃないかと思うけど(笑)。

ごん:えーと、真面目な話になったらH谷川君が無口になるんで、この辺でやめときましょう(笑)。

団長:いずれにしろ、讃岐うどんの歴史の中における「はなまる」の功績が若い世代に語り継がれてないみたいなので、『うどラヂ』でちょっとだけ語り継いだということで、よろしくお願いします。

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