麺通団のうどラヂテキスト版 編集 田尾 和俊

125

団長:人生にはいろんな「節目」というものがあるわけで、まあ我々の“うどんライフ”にも振り返ってみれば節目となる出来事があったような、なかったような。

ごん:どっちですか。

団長:私とH谷川君はあったような、しかしごんと谷本ねえさんはなかったような。というわけで、まあそんなことをネタにした“ゆる~い回”を一つ(笑)。

うどんにハマったきっかけ

団長:こんな番組に珍しく、高校生からお便りを頂いております。

ごん:道を踏み外さないでくださいね(笑)。

大阪府の高校生「ちりり」です。質問です。以前、『恐るべきさぬきうどん』第1巻に、「団長がうどんに開眼されたのは初めて中北でうどんを食べた時だ」という文章がありましたが…

ごん:「中北」が「ゲリラうどん通ごっこ」の連載開始のきっかけになったという話は結構知られてますよね。

団長:まああれは私が「うどんに開眼した店」じゃなくて、「タウン情報誌として扱える讃岐うどんの素材を見つけた店」ということやね。

ごん:「讃岐うどんの世界にこんなおもしろい素材があったのか」というね。

団長:A藤に「中北」に連れて行かれたのは1988年やけど、あの頃、香川の若者、特に若い女性にとって「うどん」いうのは「オヤジの食い物」で「ダサイ食い物」だったから、タウン誌で「うどん特集」をすることなんかなかったんよ。

ごん:若者に紹介するようなジャンルではなかったですよね。

団長:若いOLは「オフィス街で昼食にうどん屋に入るのを見られるのが恥ずかしい」とか言いよった時代やから、タウン誌で表紙に「讃岐うどん特集」いうタイトル出してうどんの写真をドーンと載せたら、売上部数が半分に落ちる恐れがあったからな。

ごん:ブームの後しか知らん人には想像できないかもしれませんけどね。

団長:そういう時代にたまたまA藤に「中北」に連れて行かれて、「これはグルメとか郷土料理じゃなくて、レジャーとしておもしろいんちゃうか?」という発見をしたという、私の中の「中北」はそういうポジションです。では続き。

…ごんさん、H谷川さんの中で、うどんに目覚めたきっかけとなったうどん屋さんというのはありますか?もしあれば、元香川県民としてぜひ教えていただきたいです。

団長:ということですが、ごんは今の人気のある怪しい製麺所型のうどん屋にはほとんど見向きもしてなかったような気がするぞ。

ごん:まあ、あえて店で言うたら「丸山」ですかねえ。小学校の頃から土曜日の半ドンの時に「丸山」で玉買うてきて家で食べてたんで。

団長:けどそれは「うどんに目覚めた」というより、ただの「日常のうどん」の思い出やからなあ。今だってキミは麺通団入団拒否中だろ?

ごん:あっはっは!いやほんとにね、ブームになってもJACKさんとか団長が行くのについて行くぐらいでしたからね。

団長:というわけで、「ごんさんがうどんに目覚めたきっかけとなったうどん屋さん?」はという質問に対する答えは?

ごん:目覚めてない。

団長:でした。

H谷:はははは(笑)。

団長:『うどラヂ』をやっているというのに、ひどい話です。

ごん:ちなみにH谷川君は?

H谷:僕はもう、以前にも言うたことあるんですけど、団長の「ゲリ通」を読んで店に行ったら、本に書いてあるままの情景が展開されててハマったんです。

ごん:どこの店?

H谷:どこの店というか、「ゲリ通」に書いてる店を片っ端から行き出したら、行く店行く店全部が本に書いてある通りで。

ごん:けど団長、店のこととかメニューのこととか、うどん屋の紹介あんまり書いてないやん。

H谷:そうなんですけど、立地や店内の怪しさとか大将や女将さんの描写とか客との会話とか、うどん以外に書いてある“ゆるい感じ”が行ってみたらあまりに本に書いてるまんまで、それに完全にハマってしまったんです。だから僕は「おいしいうどんが食べたい」とかじゃなくて、おもしろさを体験したくて行き始めたという。

団長:俺の「人を動かす大作戦」にまんまとはまったわけや。

H谷:そうですそうです。実際動きましたから。いい加減な情報がおもしろそうだったんで行ってみたら、ほんとにいい加減な情報がそのまま繰り広げられていたという、何か「誠実ないい加減情報」にやられたという感じですね。

団長:そういうことだそうです「ちりり」さん。残念ながらグダグダした答えしか返ってきませんでしたが、何かのためになる考察も、探せばありやなきやというところで。

ごん:どっちですか。

団長:うーん、「なきや」に一票。

注目!CONTENTS