麺通団のうどラヂテキスト版 編集 田尾 和俊

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団長:「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」で讃岐うどんの過去の発掘作業を始めて、もう10年になるんやけど。

ごん:まだ続いてるんですか。

団長:昭和の讃岐うどんを知るお年寄りが健在なうちは、エンドレスやがな。ほんで今のところ、「昭和の証言」が300本、「開業ヒストリー」が「がもう」や「山越」、「なかむら」、琴平の「宮武」等々の大御所を含めて20軒収録して、「新聞で見る、明治・大正・昭和・平成の讃岐うどん」の編集もあとちょっとで完了するというところまで漕ぎ着けた。

ごん:しかしあれは、なかなかの調査ですよね。

団長:自分で言うのも何やけど、なかなかの資料になりつつあります(笑)。ほんで、調べるうちにいろいろ出てくる「過去のうどんネタ」を、『うどラヂ』でもたまに紹介することがあるわけです。

ごん:ネタ切れの時にね。

団長:では今回は、今はほとんど見なくなった「昔の天ぷら」の話が出た回を一つ。

カラフル天ぷら

団長:「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」の「昭和の証言」の取材で、詫間町在住の80歳ぐらいの女性の方の証言を聞きに行ったんよ。

ごん:そのプロフィールはかなりの確率で、団長のお母さんですね。

団長:ま、こういうものはとりあえず身近なところからね(笑)。ほんで、昔の“うどんが出てくるシーン”をいろいろ聞きよった時にふと、子供の頃にどこかのおばあさんが手押し車みたいなのにサツマイモやレンコンやナスやゴボウといった野菜の天ぷらというか揚げ物を積んで、それをゴロゴロ押しながら売りに来よったような記憶がうっすらと出てきたんや。

ごん:天ぷらの行商ですか。

団長:うん。手押し車の中にモロブタみたいなのを2段に積んであって、そこにいろんな野菜の天ぷらが並んどったような気がするんやけど、とにかく薄~い記憶だったんで母ちゃ…でなくてその80代の女性に…

ごん:もう「母ちゃん」でええですから(笑)。

団長:じゃあ母ちゃんに「乳母車みたいなのに天ぷら乗せて売りに来よったおばあさんがおらんかった?」って聞いたら、「ああ、おこのはんか?」って。もうその瞬間に俺、頭の中でスパークしたわ。「おこのはんや!そうそう、おこのはん」。

ごん:何ですか、「おこのはん」って。

団長:そのおばあさんの名前や。それ聞いた瞬間に、いっぺんに記憶がよみがえったわ。ほんでな、その「おこのはん」が売りに来よった天ぷらに色がついとったのを思い出してね。

ごん:ほうほう。

団長:あの頃の田舎の天ぷらはたいてい黄色いコロモがついとったんやけど、たまに赤いコロモの天ぷらもあったんよ。ほんで「天ぷらのコロモに黄色や赤の色がついとったよな?」って聞いたら、「黄色と赤と青があった」って。

ごん:青!

団長:その後、高松の香西在住の80代の男性にも聞いたら、

ごん:団長の奥様のお父様ですね(笑)。

団長:ま、身近なところから(笑)。そしたら香西でも「青い天ぷらがあった」って。

ごん:詫間だけじゃなかったと。

団長:さらにその後、「はなや食堂」に行った時におばちゃんに聞いたら、「青も緑も作りよったよ」って。「何でそんな色付けるん?」って聞いたら、「色付けとかんかったら中身がわからん」だって。

ごん:あー、なるほど、はいはいはい。

団長:分厚いコロモの付いた揚げ物って、中身がパッと見わからんやつがあるやん。今でも「はなや食堂」に行ったら、タケノコの天ぷらとサツマイモの天ぷらは俺、いつも「これ何?」って聞くもん。

H谷:あれはわからんですね。

団長:「はなや」のおばちゃんによると、サツマイモは黄色いコロモで、レンコンは緑で、ゴボウが青だったらしいけど、「店によって違うかもしれん」とか言いよった。

ごん:昔は食紅とか色粉とか使ってましたからね。

団長:という、ちょっと復活させても受け入れられるかどうか怪しい昔話が出てきましたので、消えた食習慣の一つとして、一応報告しておきたいと思います。

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