麺通団のうどラヂテキスト版 編集 田尾 和俊

26

団長:今、「はなまるうどんプレゼンツ」で「讃岐うどん未来遺産プロジェクト」いうのをやってて、昭和の讃岐うどんに関するいろんな証言や讃岐のうどん店の開業ヒストリーなんかを発掘収集してるんやけど、『うどラヂ』でもH谷川君がいろんなとこから“ルーツ話”を発掘してくれて、おかげで毒にも薬にもならんこの番組がピシッと締まっていることは称えておかなければなりません。

ごん:本当に、H谷川君あっての『うどラヂ』ですからね。

H谷:どしたんですか、えらい持ち上げてくれて。

団長:「位置エネルギーと自由落下の法則」、知っとるか?

H谷:初めて聞きましたけど。

団長:物を落とす時には、より高いところから落とした方が衝撃が大きくなるという法則や。

H谷:何をやられとんですか僕は!

香の香のダシと土井勝先生

団長:では今日はH谷川君から、爆弾! ウキウキ! うどん情報を。

ごん:「爆弾」と「ウキウキ」が今ひとつマッチせんのですけど(笑)。

H谷:しかも、やるたびにコーナー名が変わってるんですけど(笑)。わかりました、じゃあ一つ、最近「ルーツ系」のことがいろいろ話題になってるんで、僕ちょっとね、「長田in香の香」の店とあのつけダシのルーツを調べてまいりました。

ごん:おー。さすがH谷川君。

団長:ちなみに、一応今のところ我々が把握しているところでは、「香の香」のダシはまず「長田」の時代に先代の「長田」の大将から当時「長田」にいた今の「香の香」の女将さんが教えてもらって、それをさらに今の「香の香」の大将が教わったということなんやけど。

H谷:最初から行きますとですね、昭和29年に先代が製麺所として「長田うどん」を開業しました。その頃は県内にまだまだ食べさせる店がない頃で、「長田」も客に釜の横でついでに食べさせ始めたのは昭和38年頃で、大体1玉10円ぐらいだったそうです。

団長:「うどん小」が10円か。

ガモ:うちが玉売りを始めたのは昭和34年ですけど、その頃は1玉6円でした。

団長:なるほど、玉売りが6円なら「食べさせる1玉10円」はそんなもんか。

ガモ:それと、農家の方から小麦粉を預かっとって、それをうどんにする時は工賃が1玉2円だったらしいです。

団長:え? 小麦の持ち込み?

ガモ:持ち込みというか、農家の方が自分ちで作った小麦を粉にして、そのうちの何ぼかをうどん屋に置いておくんです。それで、祭りや法事なんかでうどんがいる時に「何玉作ってくれ」言われて、その人の粉を使ってうどんを作って工賃をもらうんです。だから、倉庫にいつも「誰々さん」と書いた小麦粉の袋が何ぼも置いてありました。

ごん:ボトルキープでなくて小麦粉キープ?

団長:小麦の袋に「ターさん」とか「ハセやん」とか書いた札を吊ってあるんか。

ごん:昭和のスナックですか!

H谷:そういう話は僕もパラパラ聞きますね。で、いいですか?

ごん:あ、H谷川君情報を忘れてました(笑)。

H谷:で、それが昭和30年代の中頃の話で、その頃の「長田うどん」の麺のお弟子さんに、「わら家」の初代の大将とか「谷川米穀店」のおばあちゃんとかがいたそうです。

団長:おーーっ! すごいところにつながってきた!

H谷:それで、昭和40年頃になって今の釜揚げ専門店みたいな形になり始めよった時に、宮田輝さんが来て、全国区になり始めたんですけど。

団長:あれや。NHKの超人気番組の『ふるさとの歌まつり』で、司会の宮田輝アナウンサーが全国を回りよった番組。あれで宮田輝さんが「長田」のうどんを「うまい!」言うて紹介したら、「長田」がいっぺんに全国に知れ渡った。

H谷:それで、その頃の「長田」のつけダシは初代の大将が作ってたんですけど、今のダシとは全然違うかったらしいんです。

団長:ほう。

H谷:そこへですね、ある日、当時日本でトップクラスの料理研究家さんで、僕、名前は聞いたことあるんですけど、土井勝さんという方が「長田」の初代に会いに来て、初代が作ったつけダシをちゃちゃっとアレンジして完成させたのが、その後の「長田」、今の「香の香」のつけダシだそうです。

全員:えーーーーっ!!!!

H谷:土井勝さんって、すごい人なんでしょ?

団長:すごいも何も、香川が生んだ世界の料理研究家の先生やんか。今、土井勝先生のお子さんの土井善晴先生が料理研究家の跡を継いでテレビにも出よるけど、土井勝先生は当時、「土井勝料理教室」いうて人気番組をしよったんぞ。

ごん:僕も徳島におった時、徳島は大阪のテレビ番組が直接入るからよく見てたんですけど、土井勝先生はいろんな番組に出よりましたよ。

団長:大阪言うたら、「土井勝かキダ・タローか」いうぐらいやったからな。

ごん:そこは意見がいろいろ分かれるところですけど(笑)。

団長:けど俺はもっと接近しとったぞ。その「土井勝料理教室」の教室とテレビ収録用のスタジオが大阪球場のスタンド下のテナントに入っとってな、俺、その上の階にあった「劇団東俳」の練習場に1年ぐらい通いよったが。

ごん:それは接近と言うんですか!

団長:ひょっとしたら1回ぐらい、大阪球場のトイレで土井勝先生とニアミスしたかもしれんやないか。

H谷:何か醜い争いになってきましたけど(笑)。

団長:けどまあとにかく、土井勝先生は香川県が生んだ料理界の至宝やからね。あと、指圧の浪越徳治郎先生と。

ごん:あー、いらっしゃいましたね。

H谷:すみません、僕ちょっと存じ上げないんですけど。

団長:多度津出身の、日本の指圧療法の創始者の先生や。日本でただ一人の「マリリン・モンローに指圧したおじさん」やぞ。

H谷:ほんまですか!

団長:キャッチフレーズは「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」

ごん:そのあと必ず「あーっはっはっは!」いうて笑ってらっしゃいましたよね。

H谷:あの、浪越先生のことは大分わかってきたんですけど、帰ってきてもろていいですか?

団長:あ、すみません。「長田」~「香の香」のダシは土井勝先生が作ったと。

ごん:けどそれを聞いたら、あの「香の香」のダシの素晴らしさがさらに納得できた感じがします。

団長:若いH谷川君も驚いたやろけど、我々にはもう、脳天に鉄槌をくらったような衝撃です。素晴らしい話を頂きました。

注目!CONTENTS